2020年5月10日日曜日

GTC(Gotenyama Triathlon Club) 通信Vol.5


第一部 ランニングの魅力紹介
3月までは定期的に火・木のレッツラン に通って頂いた小川さん、走るだけじゃないマラソンの楽しみ方を語って頂きました。

第二部 メンバー紹介「GTCと私」
昨年念願のサブ3達成したつぶちゃんでお馴染みの津布子さん。ブーメランパンツの魅力?ついて語って頂きます。




 第一部 ランニングの魅力紹介 小川佳枝さん


GTCのお仲間に入れて頂いている小川佳枝です。
ラン1種目しかしていないのにGTCのウエアを着て走っているのが恐縮です。お会いしたことの無い方も多いかと思いますのでこの場を借りて自己紹介させて頂きます。

GTCとの出会い

レッツスイム 新代田の横尾佳津子さんの元同僚です。2年ほど前に木曜日(レッツラン モーニング)と金曜日の新代田のレッスンを受けられることを教えてもらい通うようになりました。楽しく続けているうちにもう少し頑張ってみたくなり織田フィールドでのインターバル練習におそるおそるチャレンジするはこびとなりました。今も横尾さんには仕事を一緒に出来たことよりも、こちらの練習会を教えてくれた事の方が有り難かったと言って笑っています。

マラソンとの出会い
母校の井草高校(爆問の田中君と同じクラス)の同級生がマラソン部を作って皆んなで走っているからと友人に誘われました。大学まで剣道をやっていたものの陸トレで走るくらいでマラソンとは無縁。たまにテレビで見る皇居ランなどは全くの別世界。お習字とラジオ投稿が趣味の私にはスポーツは30年ぶりでした。


これまでの大会
2015年11月3日に初めてランニングシューズを買い、自己流に走るも翌16年6月5日のマラソン部の仲間と千歳JALマラソン大会10kに初参加、タイム1時間13分、私てきには完走出来ただけで大満足でした。
折しもその日は私の52歳の誕生日でおまけにその時のゼッケンのNoが11152、まさにイイー52歳だったのは全くの偶然でしたが、マラソンにスイッチが入ってしまった瞬間でした。打ち上げではサプライズのバースデイケーキで祝ってもらい大変思い出深いものとなりました。
初のフルマラソンはその一年後、2017年6月4日です。52歳初日に10k、ならば最後の日はフルを走ってみようと、たまたま新聞で見つけた黒部名水マラソンにエントリー、4時間47分でなんとかゴールしました。その時にお世話になっていたコーチには今でも感謝です。
一か八かの挑戦でしたがあの時の嬉しさは格別。ホテルに戻り一人打ち上げで飲みすぎたビール。翌日には足よりもむしろ頭の方が痛かったです。
以来すっかり調子に乗ってしまった私はその一年後には5回フル参加、旅行を兼ねて知らない土地を走るのも快く、人生もマラソンも独走!!とばかりに一人でちょこちょこと出かけて行きました。
これまでフルを走ったのは10回ちょっとですが、現在のベストタイムは4時間28分当初よりも20分近くタイムを縮める事が出来ましたのも、平田先生のご指導の賜物と改めて感謝する次第です。ありがとうございます。

今後の目標
練習は、サボらず・邪魔せず・怪我をせず。大会では楽しく無理せず・諦めずをモットーに臨んでいきたいと思っております。
レベルの高いGTCの皆様の中では大変気が引けますが、今後とも宜しくお付き合いの程お願い致します。



第二部 「GTCと私」津布子勝利さん   

泳ぐんですか?泳がないんですか?

2012年だったと思います。新代田の練習に初めて参加した日、疲れてスタート付近で滞留している僕の頭上から、激しい声が突き刺さってきました。声の主は、あの伝説の熱血先生です。
泳がないなら出て行けー!という意味でなく、周りの方の邪魔になるから配慮をしなさい、ということだったのですが、練習には全然ついていけないし、突然怒られる。場違いなところに来てしまった、、、と肩を落としていると、帰り際「ちゃんと練習したいなら平日の方がいいですよ」と、先程の鬼コーチがニコリ。この瞬間、僕の中の何かが目覚めてしまったようで、容赦ないムチを求め(もちろん、親身で丁寧な指導のアメも付いてきましたよ)新代田に通うようになりました。

品川へ行くきっかけとなったのは、翌年、3か月連続企画で催された品川アクアスロンに参加するためでした。スイムもランも1番になることは一度もなかったのですが、男性部門で初代チャンピオンに。勝因は皆勤賞が僕だけだった、ただそれだけ。そうです、要するに僕はヒマなのです。
頑張って早起きさえすれば、朝からそれなりに泳げで、たっぷり走って、お風呂とほぼ無人のサウナにも入れて、あわよくばランチまでして帰れる、こんな週末生活にどっぷりハマっていきました。

それ以前に、レッツランに通っていたかの記憶が定かではないのですが、初めて織田フィールドに行った時、夜、ライトに照らされたトラックの中をうごめく大群に圧倒され、そしてその中にポツンといるであろう平田先生を見つけることなどできず、そそくさと退散したことは、はっきりと覚えています。

平田先生とは、オーシャンナビにお世話になる前、いぜなトライアスロンに参加した時に島へ向かうフェリーの中でお会いしている、らしいのですが、「Y子ちゃんがよく一緒にトレーニングしてる既婚者のコーチ」という、友人命名のキャッチフレーズはしっかり覚えているものの、その姿かたち、話した内容、声、印象、影、そもそも名前も、全てなんにも記憶に残ってなく、、、しかも、先生はそのレースで優勝か準優勝かされているのですが、そのことも全く、、、

さらに遡ること20年前、僕がブーメランパンツを穿いてトライアスロンをしていた頃、先生も同じくブーメランパンツで、僕の友人と埼玉県チャンピオンの座を争っていた、らしいのですが、友人に県内でそんな強力なライバルがいたなんてことも全く記憶になく、、、

僕の記憶力の問題も多分にあると思いますが、このうす味加減もひとつ平田先生の魅力ではないか、と勝手に分析しています。

先生がブーメラン時代から現在に至るまで、第一線で(薄く)活躍されて来た陰で、何の活躍もない僕も、細々とトライアスロンを続けてきました。理由は特にありません。辞めなければならないきっかけ、多くは仕事や家庭になると思いますが、それらの障害がなかっただけで。同じくそうでない友人たちと、年1の恒例行事として、(今から考えると恐ろしいですが)ほぼぶっつけ本番でレースに参加し、ゴールして満足、そんなことを続けていました。しかし、その友人たちがそれぞれ活動拠点を見つける中、僕も苦手なスイムをどうにかしようと決意し、冒頭の日になります。

以降、何を血迷ったかプロと湘南10キロに挑戦してみたり(プロ完泳、僕回収)、◯兄さんに誘われてライフセーバーを目指してみたり(途中断念)、海外IRONMANへの参戦、マラソンサブ3、ウルトラサブ10へのチャレンジ、失敗の時も成功の時も、そばにはGTCの皆さんがいてくれました。GTCに限ったことではないかもしれませんが、年齢、性別、職業、その他諸々のバックグラウンドが違う方々とも、関係なく同じ話ができる、このことは毎日を豊かにしてくれています。これからも皆さんと素敵なヒマつぶし、もとい、余暇の時間を楽しんで行きたいと思います。


<編集後記>
GTC通信 Vol.5 いかがでしたでしょうか。
非常事態宣言も再延長、暑苦しいマスクランももう少し続きますが、マスクランも呼吸筋の強化と捉えて何事も前向きに乗り越えていきましょう。

スイム・ランのネーミング、「GTC」のままでいいのでは?とのご要望がありましたので「GTC」選択肢にいれました。投票を5月16日まで延長するので気に入ったのがあればポチッとしておいて下さいませ。




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